私が母を許せた母の結婚裏話

毒親

私は長年、母を恨んで生きてきました。

  • 「なんで私を褒めてくれなかったの?」
  • 「なんで私を受け入れてくれなかったの?」
  • 「なんでこの母の元に生まれたの?」

そう思い続けてきたんです。

でもある日、その気持ちが大きく変わる出来事がありました。

祖母が、三女に語った母の結婚裏話。

これを聞いた瞬間、私の中で何かが解けたんです。

母の家出事件

私の両親はお見合い結婚です。

母の実家にお見合いの話が持ち込まれて、日取りも決まって、いよいよ当日が近づいてきたある日。

母が、家出したそうです。😳

数日後、お見合い当日までには戻ってきたそうですが、なぜ家出したのか、誰も理由を知らない。

これ、私の憶測ですけど、母には好きな人がいたんじゃないかな

その人に振られたか、結ばれない事情があって諦めて、お見合いを受け入れた。

つまり母は、好きでもない人と結婚させられたんです。

まあぶっちゃ、私が母でも、父みたいな人とは絶対に結婚したくないし(笑)

嫁ぎ先は田舎の農家、舅・姑との同居

相手(父)は田舎の農家の長男。

ということは結婚相手だけじゃなくて、舅・姑つきです。

母は姑と仲が悪く、毎日喧嘩。

父は祖母(姑)に甘やかされて育ったから、当然嫁の味方をしない。

私が小学校の頃、毎朝母の(祖母への)ヒステリックな怒り声で目覚めてました。

下着がボロボロだった母

母が私たち姉妹を産んで、実家に帰省していたときのこと。

母方の祖父(私のおじいちゃん)が気づいたそうです。

母の下着が、ボロボロだったことに。

父は家に、少ししかお金を入れていなかったんだそうです。

一方で父自身は、しょっちゅうゴルフに行っていた記憶があります。

父の仕事は準国家公務員的なポジション。

高給とは言えないけど、それなりにもらってはいたはず。

母はいつも「うちにはお金がない」と言ってたんですけど、このせいだったんですね。

父の本性を表す心無い一言

時が流れて、私たちが大人になり、母が「もう限界」と離婚を決意。

家庭裁判所まで持ち込んで、ようやく成立しました。

そのとき父が、三女の前で母のことをこう言ったそうです。

「あの女」

…実の娘の前で、母親を「あの女」呼ばわり。

父、プライド高くて自己中で世間体ばかり気にする人なんで、まぁ言いそうだなって感じですけど。

それでも、実の娘の前でそれ言う?

同じ女性として、私は思った

こんな話を聞いたとき、私はもういい大人でした。

確か自分の生き辛さの原因は毒親だと気づき、自己啓発本を読み漁り、自分自身を取り戻し始めていた頃だと思う。

頭ではなく、同じ女性として 母の心情を想像し共感できたんです。

  • 好きでもない男と結婚させられて
  • 嫁ぎ先で姑と毎日喧嘩して
  • 夫は十分なお金を入れてくれない
  • 自分の下着さえも買えない
  • 跡取り(男児)を期待されたのに女ばかり3人生んで嫌味を言われ
  • ヒステリーが日常の家

お母さん、女として幸せだったのかな。

褒めるとか、抱きしめるとか、そんな心の余裕は1ミリもなかったんだろうな。

許せた、というより「理解できた」

「許す」って言葉、ちょっと違うかもしれません。

完全に消化できたわけじゃないし、今でも母と二人きりになるのは、正直しんどい。

でも、「母も被害者だった」と理解できたことで、私の中の恨みは少し薄くなりました。

そして、50歳を過ぎた今、こう思えるようになったんです。

「同じ女性として、残りの母の人生、惨めな思いをして欲しくない」

これは、20代の私には絶対思えなかった感情です。

今、私が幸せに過ごしているから、そう思えたのかもしれない。

毒親育ちの方へ

もし今、親を恨んでる人がいたら、無理に許す必要はないです。

でも一つだけ考えてみて欲しい。

親の人生を、第三者目線で想像してみてください。

親が、誰かの子どもだった頃。
親が、結婚する前の20代だった頃。
親が、あなたを身ごもったとき、何を考えていたか。

それを想像してみると、見えてくるものがあるかもしれません。

私の場合は、祖母の話がきっかけでした。

もちろん、だからと言ってDVとかネグレクトは許せることではありません。

出来れば起きて欲しくない。

だけど起きてしまったことは仕方ない。

子どもの頃に戻って親を変えて生き直すことはできないから。

親を恨んでも、あなたのこれからの人生は何も変わりません。

今あなたが生きてるのなら、これからの人生を少しでも幸せにするため、どうか親の呪縛から解放されてください。

それが出来るのは、あなたしかいないんです。

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