私の名前、母から呼ばれた記憶がありません。
物心ついたときから、母は私を 「お姉さん」 と呼んでいました。
- 「お姉さん、ご飯よ」
- 「お姉さん、宿題したの?」
- 「お姉さん、これやって」
私は3姉妹の長女です。
下に2歳下と6歳下の妹がいます。
確かに「お姉さん」ではあるけど、名前あるんだぞ私、と。💢
今日はそんな私の幼少期エピソードを、いくつかお届けします。
「あー!分かるっ」と共感してもらえるエピソードがあれば、嬉しいです。
エピソード1:怒られるのはいつも私だけ
2歳下の妹と喧嘩しても、一緒に悪戯しても、怒られるのは私だけでした。
しかも母の怒り方が地味にエグくて、私は庭に追い出されるんですよ。
家の中では妹が知らんぷりして遊んでて、私だけ庭でしょんぼり😞
庭から家の中で「私関係ないし」感たっぷりの妹眺めていた光景、今でも目に焼き付いてます。
幼心に思いました。
「私、橋の下で拾われた子なんじゃないかな?」
「本当の親、他にいるんじゃないのかな」
エピソード2:雷雨の日、迎えに来ない母
幼稚園の年少組のころ。
退園時間にとんでもない豪雨。雷もガンガン鳴ってました。
幼稚園児にとっては、恐怖でしかありません。
なのに、母、迎えに来ないんですよ😱
結局、見かねた近所のお母さんが、私を家まで連れて帰ってくれました。
その近所のお母さんには今でも感謝しています。
エピソード3:「恥ずかしいから」一人で登園させられる
子供の頃から私は朝が弱くて、よく寝坊する子どもでした。
今もそうです、朝弱いんですよ私。
普段は母が幼稚園まで送り迎えしてくれていたんですけど、私が寝坊した日、一人で登園させられたことがありました。
理由は何だったと思います?
「親子で遅れて登園するのは、お母さん恥ずかしいから」
…はい?😦
幼稚園児の私が一人で登園する方が、近所的にやばくないですか?
子供の心配より自分の恥を優先なんですね。
今思えば、母は私に何でも一人で出来る子どもにしたかったのかな、とは思うけど、幼稚園児ですよ(;–)
エピソード4:日射病でぐったりした私を、母がおんぶしてくれた記憶
ここまで散々書いてきましたが、母にも愛情はあったんだろうな、と思える瞬間もあります。
夏のある日、私は帽子をかぶらずに公園で遊びまくった結果、夜に高熱を出しました。
日射病(現在の熱中症)です。
ぐったりした私を、母がおんぶして病院に駆け込んだ記憶があります。
…これ、私の妄想じゃないですよね、たぶん😅
こういう「断片的な記憶」だけで、子どもは生きていく
毒親育ちって、不思議なんですけど、愛されたエピソードが本当に少ないんです。
普通の家庭の人に聞くと、「お母さんに○○してもらった話」が当然のように出てくる。
私は、必死に思い出して、片手で数えられるくらい。
でもね、そのわずかな記憶が、生きる支えになったりもします。
切ないけど、それが現実。
次の記事では、そんな環境で育った私が「自分の本心がわからない大人」になった話を書きます。
誰でも、意外と自分の事は分からないと思うんだけど、「自分が嫌だなと感じてる事」すら分からず、生きるのが辛い大人になってからのお話です。
